 |
積丹半島の海岸線を沿って走る国道229号線は、小樽から江差を結ぶ「追分ソーランライン」と呼ばれる幹線道路です。
かつては北海道の経済的中心であった小樽を起点に、難所で名高い積丹半島を経て江差へと至るその道には、ニシン漁で賑わった当時の面影が残っています。
なかでも、積丹半島の歴史には数多くの伝説や逸話が伝えれられており、北海道を代表する民謡「ソーラン節」は、ニシン漁で賑わった積丹町が発祥の地と言われております。
|
| ニシン漁で栄えた積丹半島 |
 |
北海道は、江戸時代になってこの地を治めていた松前藩がアイヌとの交易をおこなっていましたが、財政難の理由などから商人に交易を委ねることにしました。
その後、商人が漁業を請け負う制度が発達し大いに栄えていきましたが、江差地方が凶漁に見舞われたのをきっかけに、ニシン漁が日本海側をどんどん北上し、積丹半島もニシン漁のメッカとして大いに栄えていきました。幕末のころになると、積丹半島各地でも大網の使用が広く許可され大量にニシンが漁獲されました。
経済の発展と共に人々の往来が著しく増加し、また、物流のための海路や陸路が整備されていきましたが、百万石のニシン漁で沸いていた積丹半島では依然として海上輸送がメインでした。大正期に入り大小数多くのトンネルが完成し、積丹半島も馬車交通路の完成を迎えました。
|
|
| 観光客で賑わう積丹半島へ |
 |
このように時代が進む中、大正初期よりニシンの漁獲が落ち込んでいき、漁獲量の減少とともに多くの人々がこの地をさっていきましたが、戦後になってニセコ・積丹・小樽国定公園の指定を受けたのをきっかけに、一躍観光地として脚光を浴びるようにようになりました。近年、積丹半島の神威岬が北海道遺産に認定され、より多くの観光客が積丹半島を訪れるようになりました。
|
|
宝島伝説
黄金岬の先にある宝島の伝説です。 アイヌの首長は、娘チャシナと召し使いの若者との恋に猛反対して若者を軟禁。その頃美国の沖に怪物が現れてニシンがまったく取れなくなり、首長は怪物を退治したものは娘の婿にするとおふれを出しましたが、志願者は皆、命を落としてしまいます。困った首長は娘の恋人を送り出し、若者は夢の中で女神から受け取った兜と剣で見事に怪物を退治。ところがそれを知らない娘は、恋人も怪物にはかなわないと絶望して海に身を投げ、村に帰った若者も後を追います。翌朝、兜と剣の形をした岩が現れ、その後はニシンの大群が毎年、押し寄せました。以来、兜のような岩を宝島、剣のような岩は立岩と呼ばれています。
女郎子岩伝説
積丹岬地区にある女郎子岩の伝説です。 沖に向かってすっと立つ女性の姿のような女郎子岩には、悲しい伝説が残っています。奥州から逃れて来た源義経は、現在の入舸町まで辿り着き、首長の娘シララと恋仲になりました。しかし、追ってから逃れるために義経はさらに奥地へと旅立たねばならず、シララとの惜別の情に耐えかねて、月夜の晩に家来とともにひそかに船出。それを知ったシララは絶壁の上から泣き叫びましたが、船が遠く離れていくのを見て海に身を投げてしまいました。そのシララの姿が、女郎子岩になったと言われています。
神威岩伝説
神威岬の先端にある神威岩の伝説です。 奥州からひそかに逃れた源義経は、日高の首長のもとに身を寄せ、首長の娘チャレンカは義経を強く慕うように。しかし、義経は北へ向かって旅立ち、後を追ってチャレンカも神威岬までたどり着きます。ところが、義経一行は既に出帆してしまい、チャレンカが大声で叫んでも折からの強風にかき消されて届きません。悲しみにくれたチャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という恨みの言葉を残して海に身を投げてしまいました。その姿がやがて岩と化したと言い伝えられているのが神威岩です。以来、女性を乗せた船がこの沖を過ぎようとすると必ず転覆したため、神威岩はかつて女人禁制の地となっていました。
積丹町のソーラン節をお聞きになれます。 |